大慈清水の水路跡 1-1
大慈寺山門横、福聚稲荷神社より
出典:国土地理院を元に作成、クリックで拡大
鉈屋町のほぼ中央に位置する共同井戸「大慈清水」は、その歴史の中で3種類の水源が使われてきました。
・江戸中期 ~ 北上川の伏流水による自噴井。
・江戸後期?明治初期?~ 大慈寺からの湧水を木管で引いて使用。
・昭和51年(1976)~ 井戸ポンプによる地下水の汲み上げ。
今回は大慈寺から木管で引いていた、という経路の痕跡を探ります。

2026年10月7日に撮影
大慈寺の山門へと階段を登っていくと、右手に稲荷様があります。福聚稲荷神社(ふくじゅいなりじんじゃ)です。
この裏側に、大慈清水の水源となった湧水跡があります。

2026年9月23日に撮影
ここがその湧水の位置と言われています。

2026年9月23日に撮影
福聚稲荷神社の裏から見たところ。坂を下り、大慈清水方向に向かっていたはずです。

2021年3月20日に撮影
ここは北上川の旧河川による河岸段丘となっており、大慈寺の敷地と道路は約3mの段差があります。この崖から湧き出る水が、鉈屋町を酒所としていました。
前回経路の水路 と交差して、大慈寺小学校側に進むのが推定経路です。

2026年9月22日に撮影
今回の推定経路上に、以前から見つけていたものが位置していることに気付きました。

2021年3月20日に撮影
石垣の下部に開口部のようなものがあります。これまでは 前回経路 への排水口かと思っていました。
しかし、今回の経路上にあるとすれば、大慈清水への水路の痕跡かもしれません。