高松の池周辺の水路跡 2-4
「上田の堤」
出典:もりおか歴史文化館収蔵『城下及近在図』、国土地理院を元に作成
江戸後期、1860年代の地図。
高松の池は昔「上田の堤」と呼ばれており、上流から上堤・中堤・下堤と3つに分かれていました。上堤は、釣堀などがあった部分が残っており、中堤が現在の「高松の池」ということになります。
そして今回巡った場所が、「下堤」の跡地でした。

出典:発行 盛岡タイムス社「盛岡古地図」の『盛岡市街及付近実測図』より引用
明治43年(1910)の地図。下堤が田圃になっており、その周囲に今回の水路も描かれています。

出典:国土地理院
昭和40年(1965)の航空写真。まだ下堤の全面に田圃が残っています。

出典:国土地理院
昭和51年(1976)の航空写真。国道4号線バイパスが通り、盛岡市立図書館、盛岡ユースホステル、勤労青少年プールができています。

出典:グーグル
そして現在の様子です。これだけ変わっても、水路跡は残り続けています。

最後に「証拠」ということで公図を。この場所も現在はネットで公図が請求できません。去年のうちに取っておいてよかった。
水路敷地、元水路敷地と思しき区画が残っているのが確認できます。
・参考文献
『もりおか物語 五 上田かいわい』1976年2月20日、盛岡の歴史を語る会
『もりおかの地名』1990年4月16日、盛岡市