一関城・釣山公園の暗渠 1-3
盛南開発の終焉に

2025年11月11日に撮影
更に暗渠を追っていくと、釣山公園入口のところから開渠になっていました。

その先はトンネルとなって山の中に入ってしまい、現場での確認はここまでとなりました。
出典:国土地理院を元に作成、クリックで拡大
国土地理院の陰影起伏図で見た高低差と暗渠の位置。
先程も書きましたが、下の道路や土地より3~4m高い部分を通っています。確認はできていませんが、一関城の堀みたいなものだったのかもしれません。

出典:一関市博物館収蔵「車一関家中絵図」を元に作成
明治初期(明治3年頃?)に描かれた「車一関家中絵図」。斜面の上に、今回の経路と思われる水路があります。江戸期から存在していたことは間違いないようです。
これが「堀」だったかどうかは、ネットで調べた範囲では分かりませんでした。
出典:国土地理院を元に作成、クリックで拡大
昭和21年(1946)の航空写真。今回の経路が見えますが、道なのか水路なのか斜面の影なのか、なんとも判断し難いです。
出典:国土地理院を元に作成、クリックで拡大
昭和37年(1962)の航空写真。今回の経路は道になっているように見えます。民家も建ち並び、下の道路(市道釣山線)も通っており、現況に近い形になっています。
また「車一関家中絵図」に描かれていた「池」が、まだ残っているのが見えます。航空写真を追っていくと、平成元年には埋め立てられているので、昭和後期までは残っていたのかもしれません。
水源はどこなのか?、など疑問は残るのですが、
一関城・釣山公園の暗渠、とりあえずここまでです。