大慈清水の水路跡 1-3
そして大慈清水

2026年9月26日に撮影
鉈屋町の通りを横断し、大慈清水に辿り着きました。

2026年9月23日に撮影
大慈清水がこの形状になったのが昭和2年(1927)と言われていますので、この姿の清水に約50年間、木管が水を運んでいたことになります。

2026年9月23日に撮影
清水で使われた水は、更にこの下へと流れていました。
右に見えるのが、現在の水源である井戸です。電動ポンプで汲み上げていますので、夜間や停電時は水が出ません。

2026年9月26日に撮影
そして 北上川古川跡の水路 へと合流していました。今回の終点です。

出典:もりおか歴史文化館収蔵『寛延盛岡城下図』
今回は航空写真が全く役に立たず、地図や公図も限定的な証拠にしかなりませんでした。
江戸中期(1750頃)の地図。
大慈清水・青龍水の2つの清水が、この時期には既に利用されていたことが分かります。
この頃の大慈清水は、おそらく北上川伏流水による自噴井だったと考えられます。

出典:もりおか歴史文化館収蔵『城下及近在図』
江戸後期(1863頃)の地図。
この地図はなかなか正確なのですが、なぜか大慈清水・青龍水とも記載されておらず、大慈寺からの木管による経路も、あったのか、なかったのか不明です。

出典:発行 盛岡タイムス社「盛岡古地図」の『盛岡市街及付近実測図』より引用
明治43年(1910)の地図。
これも大慈清水・青龍水の記載がありません。
ただ今回の経路と思われる位置(現在は大慈寺小学校校庭)に道があり、木管が通っていた場所の上を通ることができたのかもしれません。
やはり次は、青龍水ですよね・・。