盛岡の水路跡


大慈寺前の水路跡 1-4

遠曲輪への経路と、航空写真


今回の地図

■グーグル 同位置のグーグルマップ


寺の下

2026年9月22日に撮影

 そして丁字路に突き当たります。寺院の並ぶ「寺の下」と呼ばれる通りです。道路の左(南側)が千手院、右(北側)が祇陀寺の敷地です。

 そして正面に建ち並ぶ家々は、盛岡城の遠曲輪堀の跡地 に位置しています。


寺の下

2026年9月22日に撮影

 現在は宅地の一部ですが、水路跡が突き当たった箇所に、細い地割の土地があります。


公図

 この部分の公図です。地番383-2の細い土地は元水路で、今まで辿ってきた水路は遠曲輪堀に繋がっていたと考えています。


 今回、これらの水路が写っている古写真をいろいろ探したのですが、見つけることができませんでした。

 大慈寺の前とかならば、昔から写真に撮られていそうなものですが・・。

 仕方ないので、国土地理院の航空写真を解析し、水路と思わしき部分を探してみました。


1965あさ開

出典:国土地理院を元に作成

■あさ開の工場辺り

 昭和40年(1965)の航空写真。「渡り板」が架かっている黒い部分が開渠水路でしょう。白く写っている道と並行して、まだ田圃の残る下流へと続いています。


1965長屋

出典:国土地理院を元に作成

■大慈寺小学校の前

 同じく昭和40年(1965)の航空写真。永泉寺への「渡り板」が架かっている左右に黒い線があり、歩道になる前の開渠水路と思われます。
 また、大慈寺小学校の向かいにある建物は、昭和48年(1973)の住宅地図によると五軒長屋になっています。そのため開渠水路の上に、長屋5軒分と、おそらくは裏の敷地へと回るため6か所の「渡り板」が架かっているのではないかと考えられます。


1965寺の下

出典:国土地理院を元に作成

■祇陀寺の横

 同じく昭和40年(1965)の航空写真。祇陀寺への「渡り板」が架かっている黒い部分が開渠水路です。大慈寺の方向に続いているのが分かります。
 ちなみに千手院側の道路脇にも黒い線が見えますが、これは「塀の影」です。


次回は「大慈清水」の予定です。



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